■女子日本代表選手の礎
やがてとんでもない大会が現れる。「ペレ杯争奪全日本ジュニアボールリフティング大会」。全国の小学生を対象にしたボールリフティングのコンテストである。西武百貨店が企画し、すでに引退していた「サッカーの王様」ペレを招き、1980年の10月12日に東京・池袋の同百貨店の屋上で第1回大会が開催された。参加したのは、全国の予選大会で選ばれた73人である。
優勝したのは、栃木県河内町(現在は宇都宮市)の田原小学校のなんと4年生、しかも女の子だった。「ヘディング5分間」「自由5分間」という課題で、686回と748回というとてつもない記録をつくり、5年生や6年生の男の子たちをしのいだ。ペレからほっぺたにチュッとされ、大きな優勝カップを受けた少女は、恥ずかしそうな顔をしてうつむいた。
少女の名前は手塚貴子。後に読売ベレーザの一員となり、日本女子サッカーリーグでは1991年に18試合で29ゴールを記録してMVP、得点王、アシスト王の「三冠」に輝いてベレーザを無敗優勝に導いた。日本女子代表でもFWとして42試合に出場し、18ゴールという記録を残している。クラマーさんが言うようにボールリフティングでサッカーがうまくなるわけではないかもしれないが、選手時代の彼女のプレーのボールタッチの繊細さは、明らかにボールリフティングのたまものだったように思う。