■日本への到来
「ボールリフティング」を日本のサッカーにもたらしたのは、1960年代に日本サッカーに革命的な指導をもたらし、メキシコ・オリンピック銅メダルという快挙に導いたドイツのデットマール・クラマー・コーチであったと言われている。だが積極的に導入したわけでもなかったようだ。
クラマーさんはすべての技術を当時の日本代表たちより正確にやって見せることができたが、ある日、選手たちの前でいきなりボールリフティングをやり始めた。まるで曲芸師のように足元から落とさずにボールを突き続けるプレーに選手たちが言葉を失うと、こう言ったという。
「リフティングは余興でやるものだ。サッカーとは何の関係もない。イタリアにはいちどに5個のボールをリフティングする人間がいたが、プレーはダメだった。勝つことに結びつかない技術には意味がない」
とはいっても、ボールリフティングによってキックの感覚などが養われることも理解され、日本代表選手たちも練習開始前などにリフティングをするようになった。それが所属チームの選手たちにも伝わり、やがて日本中の少年・少女たちがボールリフティングをするようになったと思われる。