時間とともに“真の浦和の男”となった興梠慎三。アジア王者になって語った、「次はJリーグタイトルがほしい」【興梠慎三のACL(2)】の画像
アジア王者になってトロフィーを掲げる浦和レッズFW興梠慎三 撮影:中地拓也

 そんな興梠が変化し始めたのが、2013年の浦和入り後だろう。当時、鹿島から浦和への移籍は「禁断の移籍」と言われ、興梠の決断は物議を醸した。

 本人は「鹿島で試合に出れなくなったタイミングで浦和からオファーがあった。ミシャ(ペトロビッチ)監督のサッカーにコテンパンにやられた経験もあって、この監督の下でサッカーがしたいと思った」と移籍理由を語っている。ただ、浦和サポーターにしてみれば、本当に赤い軍団に染まり切ってくれるかどうか疑問も拭えなかっただろう。

 しかしながら、興梠は移籍1年目の2013年にいきなり13ゴールをゲット。2014・15年に12点、2016年に14点、2017年に20点と着実に数字を伸ばし、名実ともにエースに上り詰めていく。浦和では2013~20年にかけて8年連続2ケタゴールを達成。これは偉業と言うしかない。

 2014年に結婚し、その後、子供も誕生。父親になることで、人間的な器も大きくなっていった。2019年に両親と実兄が営む「宮崎高千穂の味 ローストチキンコオロギ」の浦和店出店を後押しするなど、自ら地域に馴染むアクションも厭わなかった。「真の浦和の男」として、彼は多くの人々に受け入れられたのである。

 キャリアを積み重ねることで充実感を覚えたのは間違いない。けれども、年齢は待ってくれない。2016年に30歳になり、フットボーラーとして残された時間が少なくなっていくことを実感したタイミングで、興梠は2016年リオデジャネイロ五輪にオーバーエージ枠で参戦。初めて世界の壁にぶつかり、「もっと上を目指さなければいけない」という意欲がふつふつと湧いてきたようだ。

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