■テクノロジーに慣れてこなかったサッカー界
体の各部位にセンサーを付けたり、さまざまな角度から撮影した映像を組み合わせて2Dにせよ、3Dにせよ、人工的なラインを引くことまでして、微妙な反則をあぶり出す必要があるのだろうか? 「肉眼の延長」的な映像でも確認できないような“些細な”な反則を探し出すのは必要なのだろうか?
他の競技は、21世紀初頭にビデオ判定を導入して以来の積み重ねがある。だが、サッカーはそうした積み重ねなく、2018年になっていきなり最新のテクノロジーを使い始めたのだ。
つまり、それまで旧ソ連製の戦車しか扱ったことのなかったウクライナ軍がいきなり西側の最新鋭主力戦車を運用するような危うさがあるのだ。
新しい“武器”を与えられたレフェリーの方々が、その最新テクノロジーを使いたくなる気持ちはよく分かる。暗い部屋に閉じ込められて、90分間(または120分間)いくつものモニターを睨み続けて緊張を強いられるVARにしてみれば、ゲームに介入したいという欲求が強くなるのは当然のことだ。
だが、VARという技術がサッカーの魅力を損なうことなく活用されるためには、“最新兵器”の使用に対しては常に抑制的であることが求められるのではないだろうか。