周囲が「重武装」していく時代でも審判に「武器」を与えなかったFIFA【サッカーとテクノロジーの正しい付き合い方を考える】(3)の画像
技術が進歩する世の中で、審判はあまりに無防備なまま仕事をさせられてきた 撮影:中地拓也
 テクノロジーは、人間の生活に不可欠なものになっている。サッカーも、その例に漏れない。日常生活でもサッカーでも、大事なのはテクノロジーといかにうまく付き合うかである。正しい共存の方法を、サッカージャーナリスト・後藤健生が考察する。

■「神の手」が許された時代

 僕は、20年ほど前から「ビデオ判定の導入」を主張し続けていた。

 たとえば、1986年のメキシコ・ワールドカップでのディエゴ・マラドーナのハンドによる得点(「神の手ゴール」)や、1990年のイタリア大会のソ連戦における同選手のハンドによるゴール阻止。スタジアムの数万人の観客には見えていても、どういうわけかレフェリーには見えなかったことによる「誤審」である。

 1人のレフェリー(主審)と2人のアシスタント・レフェリー(かつてはラインズマン=線審)がジャッジをするという形式は、19世紀の後半に確立された。

 当時は、選手や観客がどんなに疑問を抱いたとしても「誤審」を証明することは不可能だった。なにしろ、映像技術というものがなかったからだ。「あのゴールはおかしいのではないか」と皆が思っても、それを証明することはできなかったのだ。

 後に、写真や映画、テレビジョンによって映像が撮影される時代になっても、状況は大きくは変わらなかった。

 フィルムは現像してみないと映像を確認できない。だから、「誤審」が証明されるのは早くても試合終了後のこととなる。テレビジョンは当初は録画ができなかったから、これも判定の検証には使えなかった。

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