2022年のサッカーカレンダーは、少し変わっていた。史上初めて11月にワールドカップが開催されたので、Jリーグや天皇杯が前倒しで行われたのだ。蹴球放浪家・後藤健生にとって、元日は天皇杯決勝が恒例行事だが、一度だけ海外で年を越したことがある。理由はもちろん、サッカーの取材だ。
■香港の観客を味方につける
それまでの日本代表は、韓国や中東諸国相手の場合はもちろん、東南アジア相手でも「相手の方が個人技は上」ということを前提に、日本は「走り勝つ」という戦い方で勝負していたのです。
ところが、香港の大会に出場した日本の若手選手のテクニックは中国よりも、北朝鮮よりも上でした。日本がパスをつなぎ始めると奪われる気がしませんでした。今ではアジア相手なら当たり前の光景ですが、それはまさに革命的なことでした。
金田喜稔、木村和司、風間八宏、戸塚哲也、都並敏史……。まだ20歳前後でしたが、後の日本サッカー界をリードしていく選手たちがそろっていたのです。
彼らのパスを回すテクニカルなサッカーは香港の観客にも気に入られていました。
まだ、アジア諸国では反日感情も強い時代で、香港の観客は基本的には中国を応援しているのですが(なにしろ、中国代表の主力はベテランの容志行など広東省の選手でした)、日本がボールを回しだすと香港の観客も大歓声を上げます。ゴール前でのFKの場面で木村和司がボールをセットしただけで「ワーッ」という声が上がります。
なにしろ、テレビ中継もなかったので、この時の試合を映像で見た日本人はほとんどいないでしょうが、日本代表の歴史の中でも特筆すべき大会だったと思います。