中東で初めてワールドカップが開催されたが、蹴球放浪家・後藤健生にとってはなじみの土地でもある。だが、当然ながら「初めて」はあったのだ。あの「ドーハの悲劇」が生まれた頃…。
■応援中止のタイミング
当時は、中東までの直行便もなく、この地域を観光で訪れる人もほとんどいない時代。一部の石油関連産業に従事する人以外の日本人にとってはあまり馴染みのない地域でした。
イスラーム教の国に行ったら、毎日どんな生活をすればいいのか? 食事などはどんなものがあるのか? 好奇心も掻き立てられますが、同時に不安もありました。僕もマレーシアのような東南アジアのイスラーム国には行ったことがありましたが、中東は初めてでした。
日本サッカー協会や外務省からもいろいろと注意事項が申し渡されました。たとえば、女性は肌の露出をなるべく避けるとか、飲酒はできないといったことです。
そして、イスラームでは日に5回のお祈りの時間が決まっていて、モスクからはお祈りを呼びかけるアザーンが聞こえてくるので、「その時は応援を中止する」という注意事項もありました。
到着直後は何もかにも新鮮で、景色を見ながら「ああ、砂漠だ」とか「あっ、ラクダだ」と歓声を上げていましたが、そんなことにはすぐに慣れてしまいます。どうやら、安い食事というとインド料理なのだということも分かってきます(インド亜大陸出身の労働者が多いからです)。
そして、試合の途中でアザーンが聞こえてくると、最初のうちは「お祈りの時間だ。応援は中止」と真面目に自粛していました。しかし、現地の人たちはお祈りの時間になっても応援を止める気配はありません。日本人サポーターも「応援は続けていいんだ」ということに気が付いて、そのうちに普段と同じように応援を続けるようになっていきました。