■外国人監督には「帰る場所」がある

 さらにあげたいのが、外国人監督には「帰る場所」があることだ。日本を愛し、日本に愛されたとしても、彼らは任期が満了すれば母国へ帰る。

 W杯のグループステージで敗退に終わっても、母国で叩かれることはない。外国人監督が日本人選手の経験不足や実力不足を敗戦の理由にあげれば、母国のメディアの大半はそれを信じるだろう。

 言い方を変えれば、日本代表を率いることは、外国人監督にとってリスクの大きな仕事ではない。W杯予選で敗退するような失敗を演じないかぎり、経歴に傷がつくことないと考える。

 日本人監督は、違うだろう。

 ドイツとスペインを連破し、グループステージを首位通過したことで、森保監督は称賛の対象となった。帰国した彼は拍手で迎えられたが、グループステージで敗退していたらどうだったか。出国ゲートで待ち構える人はまばらで、わざわざ待ち受けた人からは罵声を浴びせられたに違いない。

 どんな結果になっても、森保監督の帰る場所は日本だ。そして、海外へ移住でもしなければ、そのまま日本に住み続けることになる。結果が伴わなければ、家族にも息苦しい思いをさせてしまう。

 勝って得るものは大きいが、負けて失うものもとんでもなく大きい。つねに追い詰められている状況である。そこに、勝負に賭ける思いの違いが表われると思うのだ。

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