■欧州勢の苦労
当時の日本はすでにヨーロッパのクラブで活躍する選手が増えていたが、そうした選手たちはまず日本に帰国して鹿児島県でキャンプを行い、その後北アメリカ大陸のフロリダで調整試合を行ってから現地入りするという日程だった。海外組はヨーロッパから日本。そして、日本から北米を経由して南米という超長距離移動を強いられたのだ。
ブラジル大会で移動距離が大きな障害となったのは、アジア勢だけではなかった。ヨーロッパ勢ですらパフォーマンスを低下させてしまったのだ。
ヨーロッパ勢は大西洋を渡るだけなのでアジア勢に比べれば移動は楽だったはずだ(しかも、南北方向の移動なので時差が少ない)。だが、普段からヨーロッパと本国の間を頻繁に移動しているアジア出身の選手と違って、ヨーロッパ勢は長距離移動に慣れていなかった。
結局、ブラジル大会ではヨーロッパ勢の中で、実力を発揮できたのは優勝を遂げたドイツだけだった。ドイツはキャンプ地を自ら建設してしまうという周到な準備が功を奏した。
一方で、ブラジル大会では開催国までの移動距離が少なく、しかも文化的にも近い南北アメリカ大陸諸国は合計8チームが勝ち残った。