大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第101回「“ハンドボール”とはなんぞや?」(2)「神の手」がなくとも負けていたイングランド代表GKの画像
審判にとっても難しい判断はたくさん存在する 写真:中地拓也

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、PKか否か、境界は脇の下の最も奥の位置?

■反則ではなかった「ハンド」

 日本を代表するスポーツ文化論学者で、『オフサイドはなぜ反則か』(三省堂選書)という名著で知られる中村敏雄さん(1929―2011)に、『スポーツルール学への序章』(大修館書店)という著書があり、その一項目でサッカーにおけるボールを手で扱うことの禁止の歴史的経緯の考察が詳述されている。

 中村さんによれば、そもそも1863年のFAを創立する(サッカーを創造する)会議のなかで、原則としてボールを手で持って走ることを認めない派と、認める派が対立し、投票の結果、13対4で「認めない派」が勝ってサッカーの「道」が決まったという。さらにこの「多数派」を占めたパブリックスクール出身者の出身校では、今日のサッカーボールより小さくて弾まないボールを使っていたため、自然に手を使わずにけるゲームになったのではないかという。

 「フェアキャッチ」の文言は3年後の1866年には削除されたが、ボールを手でキャッチすることはまだ許されていた。シェフィールドFCが1867年に「ボールを手で扱うことを反則にすべき」という提案を出したが、ロンドンのサッカー協会(FA)は無視した。FAがボールを手で扱うことを禁じたのは、1870年のことだった。そして翌1871年、FAは初めて競技規則でゴールキーパーを認め、この役割の選手に限ってボールを手で扱うことを許す。いずれも、シェフィールドFCの例にならったものだった。

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