後藤健生の「蹴球放浪記」第129回「世が世なら、もしかしたら王様?」の巻(2)日本と正反対の韓国サッカー関係者との関係の画像
三星電子にもらったスポンサー用入場証。「この証は全競技場のすべての地域出入りが可能」と書いてある 提供/後藤健生

 取材をすれば、さまざまな人に出会う。時には、思いもしない出会いもまっているものだ。蹴球放浪家・後藤健生が出向いた韓国には、世が世ならば出会えなかったであろう人物が「働いて」いた。

■いまだに残る王族の集まり

 朝鮮国は独立国でしたが、名目的には中国の属国でした。「朝鮮」という国名も明朝の洪武帝に選んでもらったものでしたし、年号も中国の王朝のものを使っており、国王は形式的には中国皇帝の臣下ということになっていました。しかし、17世紀以降中国を支配していた清国が日清戦争で敗れた後の1897年に、朝鮮国は中国からの完全独立を宣言して「大韓帝国」となり、第26代国王の高宗は皇帝となりました。しかし、1910年に朝鮮が日本の植民地となってしまったので皇帝の純宗も退位しました。

 その後、1945年に日本が第2次世界大戦で敗れて韓国は独立の地位を取り戻しましたが、大統領制の共和国(大韓民国)となったので王制が復活することはなく、かつて李家の人々は今では一般人として暮らしていますが、それでも年に一度は歴代国王の位牌が安置されているソウルの宗廟(チョンミョ)に集まって祖先をお祀りする行事を行っています。

 その王家の一員である李(リ)さんが目の前にいたのです。

 もちろん、王家の一族は非常に数が多いので目の前にいる李さんが本家からどの程度の距離にいるのか分かりませんが、世が世なら僕たち庶民が簡単にお目通りすることも難しい王族だったのかもしれません。

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