■年間予算が一気に10倍以上に増加
しかしチームには、横山や山田など、浦和から通っている選手がいた。練習を終えて帰宅すると、11時を過ぎてしまう。この年には選手の多くが営業職を離れ、管理部門に移り、定時で会社を出られるようになっていた。それでも、5時に会社を出て横須賀線で川崎まで行き、南部線に乗り換えて平間のグラウンドで練習するというのは、遠方からの通勤者でなくてもきつかった。
「選手の健康を損ねたら意味がない」と考えた森が思いついたのが、社内に「後援会」をつくることだった。三菱重工の社内にはすでに野球部の後援会があり、物心両面で選手たちを支えていた。森は同じものをサッカー部にもつくろうと奔走し、実現にこぎつけた。会員になると毎月の給料から1口50円(後に100円となる)が天引きされ、それがサッカー部の「強化費」にあてられるという形である。
さすが大企業である。あっという間に2000人以上が入会し、毎月10万円以上が支給されるようになる。会社から支給されるサッカー部の年間予算が10万円だった時代である。森はさっそく選手たちの平間までの交通費や「補食費」にあてた。東京駅で電車に乗る前にパンと牛乳を買わせ、車内でそれを食べて練習に向かうというのである。
「廊下トンビ」と、森は表現した。ひとつの計画を実現に移すには、あちこちの部署から許可や協力を取りつけなければならない。その許可や協力のためには、キーになる人物に理解しておいてもらわなければならない。自分の業務を百パーセントこなしながら、森は社内を飛び回って、説明に、説得に、頭を下げに、奔走した。
夜の練習では帰宅が毎日深夜になり、健康に悪影響を与えかねない。そこで森は午後3時には職場を出て練習に迎えるように選手たちの職場に話をつけ、次いで職場にいるのは12時までにこぎつける。選手たちは全員三菱の社員であり、サラリーマンなのだが、実質的には、最も重要な「仕事」はサッカーになっていく。