だが一般にファンには、森健兒さんという人はあまりなじみがないのではないか。Jリーグの幹部だったことは知られているが、どんな人物だったのか、実際にどんなことをしたのか…。いわば「裏方」に徹した人だったから、知られていないのは当然のように思う。今回は、森健兒さんがどのような人だったのか、上下2回にわたって、私が知ることを読者に伝えたいと思う。(以後敬称略)
■年月をかけて進めた「人づくり」
日本サッカーリーグ(JSL、1965~1992)時代、森は、1973年にJSLの運営委員になり、翌1974年には「常任運営委員」となってリーグをリードしてきた。日本のサッカー史ではJリーグ化時代以降に大きく光が当てられるが、実は、JSL時代に森が年月をかけて進めてきた「人づくり」がなければ、Jリーグは絵に描いた餅に終わっていたはずだ。
「いつか日本にも必ずプロの時代がくる。そのときに大会や試合を運営するプロがいなかったら、いくらプロの選手や監督がいても成功するはずがない」。森がJSLの総務主事の立場にあった時期(1986~1988)に聞いた言葉が忘れられない。森がそう強く思ったのは、JSLの「常任運営委員」になったばかりの1974年、36歳のときだったという。