JSL時代から取り組んだ「運営のプロづくり」【森健兒さんとはどんな人物だったのか(上)】(1)の画像
Jリーグのクラブが、アジアの頂点を争うまでになった。そのために汗を流してきた人たちがいる 撮影:原悦生(SONYα1使用)

 日本のサッカーは、多くの人の手によって育まれてきた。そのひとりである森健兒さんが、今年8月に亡くなった。進んで表に出ることはなかったが、裏方として日本サッカーの発展に力を尽くしてきた人物だ。Jリーグ誕生のキーマンともなった森さんの人生を、サッカージャーナリスト・大住良之がつづる。

■「スター」を支えた「裏方」

 2022年8月24日、森健兒さんが亡くなった。1937年8月13日生まれだから、85歳の誕生日を迎えられて間もなくのことだった。

 森さんは、Jリーグの初代専務理事として、初代常務理事の故・木之本興三さんとともに初代チェアマンの川淵三郎さんを支えた人として知られている。日本のスポーツ界ではプロ野球の誕生から70年以上を経て初めて生まれたチーム競技のプロ組織。サッカー界の重鎮さえ危ぶんだ「プロ化」を見事に成功させ、プロ野球とはまったく違った「地域に立脚したプロスポーツモデル」をつくりあげたJリーグは、日本のスポーツ史に特筆されるべきトピックだった。

 もちろん、その最大の「スター」は川淵さんである。川淵さんのリーダーシップとカリスマ性、少年のような理想主義、そして何ものも恐れずに突っ走っていく勇気がなければ、Jリーグはずっと違った方向に行ってしまっていただろう。しかし「スター川淵」が脇目も振らずに突っ走ることができた背景には、実務や対外折衝を引き受けた森さんと木之本さんの働きがあった。

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