大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第96回「ドイツ半世紀」(3)大会のハイライトはクライフ率いるオランダとスウェーデンの対戦の画像
スタジアムにダフ屋はつきもの。この時代は堂々と商売していた。買おうとしているのはスコットランドのサポーター。(c)Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「ドイツ」。

■「サッカーの都合」が優先された時代

 フランクフルトからドルトムント、デュッセルドルフへの列車は、現在はほぼ直線の「新幹線」を走る。丘やトンネルばかりで、車窓はまったく味気ない。しかし当時はライン川沿いの路線を走っていた(この路線自体は、現在もある)。車窓に広がるその雄大な景色を見ながら、私は初めて「外国にきた」ことを実感した。

 当時のワールドカップも、現在とはまったく違った。16チーム4グループの1次リーグ。現在はテレビ放映のために大半の試合が時間を重ならないように、しかも連日行われる。しかし当時は、もちろんテレビ放映はあったものの、試合日やキックオフ時刻はもっぱら「サッカーの都合」で決められていた。基本的に1日に2組4試合、それが2日続くと、2日間試合がなく、また同じ形が繰り返される。キックオフはウイークデーなら19時半、週末は16時だった。

 例外が2つあった。ひとつは開幕戦で、2組の「ブラジル×ユーゴスラビア」は1日早められ、17時キックオフで行われた。そしてもうひとつが開催地元の西ドイツの試合で、この試合だけは他の試合とはキックオフ時間を分け、ウイークデーなら16時に、週末なら19時半にキックオフされた。

 「2日試合があると2日休み」のリズムは、とても心地良かった。私はフランクフルトで東京に送るフィルムや原稿を用意したりしながら、観光にも出かけた。最初の休みの日には、毎日新聞のAさんら何人かの新聞記者といっしょにコブレンツから「ライン下り」ならぬ「ラインのぼり」の船旅も楽しみ、途中で有名な「ローレライ」も見た。雨が多いワールドカップだったが、この日は快晴でとても気持ちよかった。

 その翌日には、編集長の希望で、Yさんとともに3人でハイデルベルク観光だった。編集長が「僕の青春の終わりだ」などとわけのわからないことを話して感傷に浸っているのを、Yさんと笑いをこらえながら見ていた。

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