■ワールドカップでの歴史
1950年のワールドカップ・ブラジル大会は第二次世界大戦の直後で各国とも選手団を送ることが難しく、戦前の1938年のワールドカップからは大きく変わる出場枠割り当てが行われた。1938年に12枠だった欧州は6に減らされ、わずか1だった南米には5つもの枠が与えられた。そして北中米カリブ海地区には2枠が設定された。ちなみに、次回、1954年ワールドカップでは欧州は12枠が復活し、南米は2。北中米カリブ海カリブ海は1枠に戻され、その状況は1982年に大会出場国が24に増えるまで続く。
1950年大会の北中米カリブ海予選に出場したのは、メキシコ、アメリカ、キューバの3か国。予選は1949年9月にメキシコシティにおいて2回戦総当たり方式で集中開催された。アメリカは初戦でメキシコに0-6と大敗を喫し、第2戦はキューバと1-1で引き分け、第3戦は再びメキシコに2-6で敗れたが、最終戦でようやくキューバに5-2と快勝、「2位」を確保して出場権を獲得した。
白いユニホームの右肩から左そでにかけて赤い「タスキ」模様をつけて(ペルー代表にそっくりだった)ブラジルでの大会に臨んだアメリカは、初戦でスペインと対戦、前半17分にジョン・ソウザの得点で先制、後半序盤戦までリードを保った。しかし後半9分、11分、18分と立て続けに失点し、1-3で敗れた。