■延期された国際大会
2002年に流行したSARSの時は、幸か不幸か、日本ではほとんど流行することがありませんでした。その結果、新型ウイルス対策がまったく構築されないままとなったため、2020年の流行発生の時に日本政府の対応は後手に回ってしまったわけです。
2002年から2003年にかけてのSARSの流行で日本で最大の影響を受けたのは、サッカー界だったかもしれません。5月から6月にかけて開催される予定だった第1回東アジア・サッカー選手権(EAFF E-1選手権の前身)が延期されてしまったのです。
結局、同大会は12月に開催されました。ジーコ監督率いる日本代表は最終日に韓国と対戦。開始早々に大久保嘉人が退場になってしまったため、スコアレスドローに終わりました。両国は2勝1分で並び、得失点差も同じでしたが、総得点数の差で韓国の優勝となりました。
さて、前置きが長くなりましたが、今回はそのSARSが大流行している最中の2003年3月に香港を訪れた時のお話です。
元祖SARSの最初の患者が報告されたのは2002年の11月。中国広東省仏山市でのことでした。そして、感染は旅行者を通じてアジア各国に拡大。広東省に隣接する香港には2003年2月に中国からやって来た1人の医師(後に死亡)によってウイルスが持ち込まれ、3月29日には初めてのクラスターが発生。世界的な交通ハブである香港での感染拡大によって、流行はさらに各地に波及していきます。