■なでしこを奮い立たせた言葉

 2003年6月、なでしこジャパンはタイのバンコクで行われたAFCアジア選手権で4位となり、4大会連続の女子ワールドカップ出場をかけて北中米カリブ海3位のメキシコとの大陸間プレーオフを戦わなければならなくなった。しかも強行日程で。バンコクで韓国とアジア選手権の3位決定戦を戦ったのが6月21日。メキシコシティでのプレーオフ初戦は、わずか2週間後の7月5日だった。

 日本に戻ってアジア選手権の疲れを取る間もなくメキシコに出発。時差調整と高度順化(メキシコシティは海抜2240メートル、酸素濃度は海抜0メートル地帯の77%しかない)のための時間は、わずか5日間しかない。選手の大半が体調不良を起こしたという。しかもメキシコサッカー協会は2大会連続出場を後押ししようと、入場を無料とし、アステカ・スタジアムを7万5000人の熱狂的なファンで埋めた。

 しかしなでしこジャパンのチーム一丸のプレー、そして苦境を乗り切る底力は、このころから顕著だった。このとき選手たちを奮い立たせたのは、バンコクで韓国に史上初めて敗れたショックのなか、当時の日本サッカー協会女子委員会の大仁邦彌委員長(後に会長)が選手たちにかけた言葉だった。

 「この結果は“災い”かもしれないが、逆の見方をすれば、真剣勝負をあと2試合もできる。そしてこの厳しい試合を突破することは素晴らしい経験になり、さらなるレベルアップにつながる。だから全力でこのプレーオフを勝ち抜いて突破しよう」―。この大仁委員長の言葉に、選手たちは非常に勇気づけられたと、上田栄治監督は報告している。

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