■松本が受けた恩恵
ワールドカップ出場チームは、大会前から大会中にかけて開催国内で「キャンプ」を続け、そこから試合に出ていった。「キャンプ地」は、もしかしたら、スタジアム以上に日韓両国のサッカーに「レガシー」をもたらしたかもしれない。
宿泊施設は既存のホテルを使えばいい。しかしキャンプ地のトレーニングピッチはスタジアムと同等、第一級のものでなければならない。日本国内では、そうしたサッカー施設(天然芝のサッカーピッチ)が決定的に不足していた。キャンプ地に立候補した全国84もの自治体は、そうした施設の整備を急いだ。実際に使われたのはその半数以下だったが、整備された施設は、その後のそれぞれの地域のサッカーの振興に大きな役割を果たした。
最も顕著な成功例は、長野県松本市の松本平広域公園につくられた2万人収容のコンパクトスタジアムである。ワールドカップの開幕前にパラグアイ代表がここで10日間トレーニングを行ったが、大会後には、このスタジアムを舞台に地元の「町クラブ」をJリーグクラブにしようという動きが始まり、松本山雅FCが誕生した。チームはJ2で戦うシーズンが多い松本山雅だが、「アルウィン」と愛称がつけられたスタジアムはいつも熱烈なサポーターであふれ、松本市を中心とした地域に新しい文化と応援できるクラブがある喜びをもたらした。
大会開幕前には、大分県の中津江村(現在の日田市中津江村)が大きな話題となった。ここでキャンプを行う契約をしたカメルーン代表の到着が予定より4日間も遅れたのだが、午前3時にようやく到着したチームを村総出で熱烈に歓迎した。この様子は日本人の寛大さや温かなホスピタリティーの証しとして世界にも伝えられた。中津江村とカメルーンとの友好関係や交流は大会後も続き、ワールドカップのような世界的な大会を日本で開催する意義のひとつを具体的な形で見せてくれた。