■天安門の謎
一方、北京では民主化要求の学生デモがさらに膨れ上がっていきました。そして、1989年、つまり今から33年前の6月3日の夜から翌4日の未明にかけて、人民解放軍の装甲車両が学生たちに襲い掛かったのです。
中国政府の発表によれば死者は300人程度とのことですが、実際の犠牲者は数千人。あるいは1万人を超えるという説もあります。
実際に天安門前広場で何が起こったのかは分からないことだらけです。しかし、一国の正規軍が、外国人でもなければ異民族でもない、同じ民族の丸腰の民間人に対して(一部は軍から武器を奪って戦闘を行っていたとも言われますが)攻撃を加えたのです。到底許されることではありません。
香港では、その後も毎年6月4日に大規模な追悼集会が行われていましたが、今ではそれも不可能になってしまいました。