そして昨年、山下主審はJFLでのハイレベルなレフェリングを評価されてJ3の主審となった。ことしは坊園副審、手代木副審もいっしょにJ3を担当するようになり、このトリオは、4月21日にはアジアのクラブサッカーの最高峰の大会であるACLでメルボルン・シティ(オーストラリア)対全南ドラゴンズ(韓国)というG組の難しい試合を担当、ふたたび歴史をつくるだけでなく、高い評価を得た。国内ではJ3までしか担当していない山下主審が「超飛び級」でワールドカップに選出され背景には、この試合の評価の高さがある。

■競技の発展より遅れた女性審判員の活躍

 世界的に見ると、ここ数年、女性審判員が主審として男性のトップクラスの試合を担当することはそう珍しいことではなくなっている。だが女性の審判員の活躍は、女子サッカーの発展より少し遅れた。

 後に「FIFA女子ワールドカップ」となる大会の第1回は、1991年に「世界女子選手権」として中国で開催されたが、選出された20人の審判員のうち女性はわずか6人だった。当時はまだ主審と副審(呼び名もラインズマン=線審だった)の分化が行われていなかったが、6人の女性審判のうち主審を割り当てられたのはわずか1人。ブラジルのクラウジア・バスコンセロスで、3位決定戦(スウェーデン4-0ドイツ)を担当した。

 4年後、1995年の第2回大会では、主審、副審とも女性7人、男性5人となった。日本からも吉澤久惠副審が参加した。決勝戦の主審は、スウェーデンの女性レフェリー、イングリッド・ヨンソンだった。そして1999年の第3回大会では、主審16人、副審15人、計31人の審判員が全員女性となった。

PHOTO GALLERY ■【写真】背番号やポジションは? 現在とは印象が違う選手時代の山下主審の貴重なショット
  1. 1
  2. 2
  3. 3