■3月24日/ワールドカップ アジア最終予選 オーストラリア 0-2 日本(シドニー)
7大会連続7大会目のW杯出場を決めた日本代表。その分岐点となったのが、2つのオーストラリア戦(昨年10月12日/さいたまスタジアム、3月24日/スタジアム・オーストラリア)であり、その2試合で勝利を手繰り寄せたのは“川崎フロンターレの選手”だった。
昨年10月のホームの試合では、森保一監督がそれまで用いていたシステムを変更。4-2-3-1から4-3-3とし、田中碧と守田英正をインサイドハーフで起用した。4-3-3は川崎フロンターレが用いるシステムであり、田中も守田も川崎から海外クラブへと移籍を果たした選手。
“川崎化”されたチームは、抜擢に応えた田中碧が先制ゴールを決めたこともあって2-1で白星を掴んだ。最初の3戦で1勝2敗とつまずいたチームが蘇った瞬間だった。
以後、森保ジャパンはこの4-3-3をベースとし戦い、勝利を積み重ねていく。さらに、主将・吉田麻也と冨安健洋が負傷離脱すれば、川崎の主将・谷口彰悟と川崎ユース出身で、川崎にも所属した板倉滉がゴールを守った。
そして、勝てばW杯出場が決まるアウェイのオーストラリア戦では、89分までスコアレスの展開ながら、三笘薫がゴールをこしあけて勝利を掴んだ。三笘も川崎ユース出身で、川崎から海外に羽ばたいた選手だ。日本代表は、川崎勢によってカタールへの道を切り開いたのだった。