後藤健生の「蹴球放浪記」第99回「初夏のキエフの丘でウクライナの歴史を体感」の巻(1) 自然が生んだ堤防の森にあるスタジアムの画像
ウクライナ対日本戦の入場券 提供/後藤健生

 現在、ウクライナは世界の注目を集めている。ロシアが軍事侵攻し、緊迫感が高まっているのだ。蹴球放浪家・後藤健生の心の中にも、この地は深く刻み込まれている。サッカーの世界においても重要な役割を果たした、首都キエフを思い出す。

日本代表が試合を行った地

 ウクライナの首都キエフ(ウクライナ語では「キーウ」)には2度行ったことがあります。人口250万人を超える大都市です。

 1回目は、ジーコ監督時代の日本代表の遠征の時でした。ドイツ・ワールドカップ前年、2005年10月12日に日本代表はキエフでウクライナ代表と対戦しました。

 試合はスコアレスのまま90分を迎えようとしていましたが、ラトビア人のレフェリーがウクライナ寄りの判定を繰り返していたので、記者席で隣に座っていた湯浅健二さんと「最後はPK取られちゃうかもね」とか言っていたら、本当にDF箕輪義信のハンドを取られてPKとなり、日本代表は0対1で敗れてしまいました。

 記者会見が終わってエレベーターに乗ったら、目の前にウクライナ代表監督だったオレグ・ブロヒン(元ウクライナ代表。1975年にバロンドール受賞)が立っていたので、思わずサインをもらってしまったというのが一番の記憶です。

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