藤川さんには、もうひとつの目標があった。「ずっと、キャプテンをやりたかったんですよ」。小学校の頃からの夢だった。

「小学校では実力が伴わなかったのでできず、中学時代は2年生から横浜FC鶴見ジュニアユースに加わったので、キャプテンになれなかったんですよ。高校では3年間ずっといられるので、周りには公言していませんでしたが、グラウンドに最初に入って最後までいたり、皆が嫌がるようなことも率先してやることを意識的にしていました。目立つことが好きでしたし、人をまとめることが得意だという感覚もあったし、達成感も感じていました。小学校の頃からの性格が、もろに出ていたんでしょうね」

 高校に入ると、対戦する試合会場以外でも、板倉と会う時間を持つようになっていた。クラブチームと高校のサッカー部という違いはあるが、同じ全国レベルで戦えるという自信が、どこかで影響したのかもしれない。

 3年生になると、念願かなってキャプテンマークを託された。正GKとして、年間を通じて公式戦にフル出場を続けた。インターハイ予選では代表校を決める準決勝で敗れたが、その悔しさを乗り越えて、夏からは練習試合を含めて一度も負けなかった。

■雨の準決勝での悔恨

 最大の舞台である全国高校選手権の舞台が、着実に近づいていた。歩みが順調だった分だけ、落とし穴にはまったダメージは甚大だった。

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