いまや、日本にサッカーのプロリーグがあるのは当たり前のことである。しかし、その「日常」がない時代もあった。
この「現在」をつくりあげた歴史を振り返ることは、「未来」を築くことにつながる。サッカージャーナリスト・大住良之が、Jリーグが日常になった過程を振り返る。
■最初の入場者目標は1試合1万人
過去29シーズン。J2は22シーズン、J3はまだ8シーズンだが、総計すると試合数は1万8840にものぼる。得点は5万493で、1試合平均2.68ゴールということになる。そして入場者総数は1億9267万4924人。1試合平均は1万227人だ(この数字は、リーグ戦だけで、リーグカップ戦や入れ替え戦、昇格プレーオフなどの試合は含まれていない)。
1991年に新しいプロリーグに参加する10クラブの発表が行われたとき、私は後にチェアマンとなる川淵プロリーグ準備室長に「プロとしての成功の目安として、入場者はどのくらい必要と考えているか」という質問をした。川淵室長は即座に「1万人」と答えた。
当時の日本リーグでは、入場者数は実数をカウントしたものではなかった。運営担当者が観客席を見渡して「う~ん、3000人!」などと決めていた。おそらく、実数はその半分ぐらいだっただろうが、サッカーに限らず、当時の日本ではあらゆるスポーツでこのような習慣になっていた。だから川淵室長の答えを聞いたとき、私は「なるほど、実質は5000人といったところか」と考えた。後にチェアマンになった川淵氏に聞くと、やはり同じような胸算用での答えだったらしい。