後藤健生の「蹴球放浪記」第92回「売りつけられた偽ファーストクラス」の巻(1)日本の主審がさばいたワールドカップアジア予選「シリアとイランの真剣勝負」の後での画像
試合後のレセプションで岡田主審と。左は小野剛技術委員 提供/後藤健生

 アジアは広い。日本からはるか離れた中東も、さらにその先も、アジアである。どれほど遠かろうとも、蹴球放浪家・後藤健生は足を延ばす。日本がワールドカップ初出場を懸けて臨んだ1997年のフランス・ワールドカップ予選。日本代表の試合でなくとも、いや、たったひとりの遠征だからこそ、学べることがあった。

■シリア代表と同宿のホテルにて

 1997年のワールドカップ・アジア1次予選のシリア対イラン戦を観戦するためにダマスカスを訪れた時の話は、すでに第31回「聖書の世界を歩く」の巻でご紹介しました。

 シリアという国は今では内戦で酷い状態になってしまいましたが、当時はハーフィル・アル・アサド大統領(バッシャール・アル・アサド現大統領の父親)の独裁政権の下で、比較的平穏な時代でした。

 ダマスカスで泊まったのは「ティシュリーン」というホテルでした。数年前、テレビを見ていたら「ホテルに砲撃があって玄関先の庭に大きな穴が開いた」というニュースがあって、その映像にはどこか見覚えがありました。そう、あの時に僕が泊まったティシュリーン・ホテルでした。

 ここに泊まったのは、シリア・サッカー協会にビザの手配を依頼したら「ぜひ、ティシュリーンに泊まってくれ」と言われたからでした。

 シリア代表も同じホテルに泊まっていました。

 ホテルのすぐ裏手にティシュリーン・スタジアムがあって、シリア代表はそこでトレーニングしていたのです。毎日顔を合わせていたので、彼らともじきに顔馴染みになりました。

 シリアはもちろんアラビア語ですが、外国語としてはフランス語を話す人が多いようで、英語はあまり通じません。しかし、シリア代表のGKマヘル・ベルクダールは英語が話せたのですっかり仲良くなりました。当時30歳の名GKで、本職は中学の体育の先生だそうです。

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