■選手と観客を「蚊帳の外」に置いた放映権

 スポンサーにとって、世界が注目するワールドカップで、基本的に無料で見られる公共放送が試合中ずっと広告を流し続けてくれるという状況は得難いものだった。1984年のロサンゼルス大会を契機に、オリンピックの放映権料は1大会数百億円の規模へと急騰していく。そのなかでFIFAがワールドカップの放映権料を1998年まで「ワールド・コンソーシアム」との契約を持続し、100億から150億円の規模に据え置いてきたのは驚くべきことだった。その背景には、「スポンサーのメリット」があったのだ。

 ただ、1982年のスペイン大会は、それまでと大きく様相の違うものとなった。

 1978年のアルゼンチン大会まで、ワールドカップの出場は16チーム。4チームずつ4組に分かれてのグループステージは、2組ずつ1日4試合行われ、2日間試合をすると2日間は何も試合がないオフだった。衛星中継が始まったと言っても、どの国のテレビも全国放送はせいぜい数チャンネルしかなく、放映権を獲得しても、主要な試合を中継するだけだった。1970年大会で4試合が同日同時刻に行われても、誰も文句は言わなかった。

 しかしスペイン大会では、グループステージでは試合が13日間連続して行われ、キックオフ時間は17時15分と21時のどちらか。連日3試合が行われたため22試合は時間が重なったが、ノックアウトステージを含めて全52試合中30試合がその時間唯一の試合として行われた。これによって、放映権を獲得したテレビ局は41試合を「生」で放送ができるようになったのである。もちろん、プレーヤーや観客の都合は「蚊帳の外」である。

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