■守備的な戦いになったファイナル
ルヴァンカップ優勝は、たしかに素晴らしい結果だったし、苦しいチーム事情の中で勝利したことは称賛されるべきものだったかもしれない。だが、残念ながら、現状のままでは名古屋には“2強”体制を崩すだけの力はまだないのではないか。称賛一辺倒で終わってはいけない。
そうした視点から、ルヴァンカップ決勝を振り返ってみよう。
決勝戦は、とくにスコアレスに終わった前半は、お世辞にも「スペクタキュラーな戦い」とは言い難い、守備的な戦いだった(公式記録によれば、前半戦のシュートは両チーム3本ずつ)。
ある意味で、当然のことだ。
そもそも、決勝戦とはそういうものだ。勝てばタイトルという試合。「負けたくない」、「先制点を与えたくない」という気持ちが強くなるものだ。
「まるで決勝戦のような試合だ」という常套句もある。両チームが慎重に構えたまま時間だけが経過する……。緊迫感はあるものの、ゴール前での派手な攻防はない。そんな試合のことである。
ルヴァンカップ決勝は、文字通り「決勝戦らしい戦い」だったわけだ。
そもそも、守備を売り物にするチーム同士の戦いなのだ。
たとえば、現在の強い横浜FMの超攻撃的なスタイルを作り上げたアンジェ・ポステコグルー監督(現、セルティック監督)とか、攻撃サッカーの信奉者であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督が、それが決勝戦だからといって、慎重な「決勝戦らしい試合」を選択したらそれは驚くべきことだが(実際、ペトロヴィッチ監督の北海道コンサドーレ札幌は、2018年のルヴァンカップ決勝で川崎と3対3の撃ち合いを演じている)、フィッカデンティ監督が決勝戦に臨んで「決勝戦らしい試合」をすることにまったく意外性はない。