大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第77回「きみたちにはいつも僕たちがついている」(1)「アメリカで生まれ、世界中で育まれたユル・ネバ」の画像
1974年に大住さんが「ユル・ネバ」に初対面したスタジアム。コロナ禍前、撮影当時のスタジアムでは現チェルシー監督トゥヘルや香川真司がその歌声を聞いた 撮影:渡辺航滋

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「サポーターの聖歌」。世界中で親しまれるあの歌について、サッカージャーナリスト大住良之が掘り下げる。

■記憶に刻まれた1974年の「うなり」

「あっ、あの歌だ!」

 1974年6月14日。ワールドカップ西ドイツ大会開幕戦の翌日、私はドルトムントのヴェストファーレン・スタジアム(現ジグナルイドゥナパルク)で「ザイール×スコットランド」を見た。その試合の終盤、スコットランドの勝利がほぼ確実になったころ、南側ゴール裏の巨大スタンドを埋めたスコットランド・サポーターたちから大きな歌声が起こった。それは当時日本で唯一、海外のサッカーを紹介していた東京12チャンネルの『ダイヤモンド・サッカー』でときおり聞いたサポーターソングだった。

 抑揚の激しい歌。試合前からの大量のビールでしこたま酔った紺色のシャツの若者たちの叫び声は、まるで「うなり」のように、また呪術のように聞こえた。

 落成してまだ数カ月しか経ていないこのスタジアム。南側のゴール裏「サポータースタンド」は、ピッチを囲む四方のスタンドのなかで飛び抜けて高く、そしてまた大きかった。ここをホームとするボルシア・ドルトムントのサポーターを考慮して特別に設計されたものだった。冬の寒風からサポーターを守るため、このスタンドは、両側を壁で、そして上部を巨大な屋根で覆ってあった。そのため、サポーターの歌声はまるで拡声器のようにピッチ方向に集約された。

 試合はスコットランドのヘディングの強さと、「ブラック・アフリカ」から初めてワールドカップ出場を果たしたザイール(現在の国名はコンゴ民主共和国)のフィジカル能力がもつ将来性を感じさせただけで、少し退屈なものだった。そうしたなか、スコットランドのサポーターの歌声のことははっきりと覚えている。

 この曲が『ユール・ネバー・ウォーク・アローン(You’ll Never WalkAlone)』と呼ばれ、元来はブロードウェーミュージカルの曲であったことを知ったのは、しばらく後のことだった。

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