■すべての源はスコットランドにあり

 1923年9月には関東大震災があって、東京高等工業学校の校舎は全壊してしまって、学校は休校になってしまった。そこで、チョウディンはこの時間を利用して全国で巡回コーチを始めたのだ。

 チョウディンの科学的なコーチングで日本のサッカーのレベルは飛躍的に向上した。

 チョウディンは『How to Play Association Football』という指導書も出版したのだが、その「緒言」には「ア式蹴球は蘇格蘭(スコットランド)に三百年程以前に起源を有す」とある。当時、ビルマ行政府の英国人公務員や駐留英国軍の軍人にはスコットランド出身者が多く、チョウディンがサッカーの指導を受けたのもスコットランド人だったからだ。

 つまり、チョウディンが日本人学生に教えたのはスコットランド流のショートパスをつなぐサッカーだったのだ。チョウディンの全国巡回コーチの旅に同行した直弟子の竹腰重丸(たけのこししげまる)は、その後、日本代表選手として活躍し、さらに代表監督や協会理事長として1960年代の初めまで日本のサッカーを指導し続けた。

 現在も、日本のサッカーはパス・サッカーを武器に世界と戦っているのだが、日本がパス・サッカーを身に着けたのは、日本のサッカーがその黎明期からパス・サッカーの本場、スコットランドや同国の影響を受けたドイツ、チェコ、ビルマなどと交流があったからなのである。

 つまり、日本のパス・サッカーには100年を越す長い歴史があるのだ。「日本のサッカーには独自のスタイルがない」などと軽々に言うことはできないと思うのだが……。

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