■100周年の頃、日本のサッカーはどんなになっているのだろう
この記事を読んで金鎮国(キム・ジンクク)を思い出した方、あなたはもう老人です!
当時の僕は19歳で大学に入ったばかりでした。もっとも「学園紛争」のせいで大学は休講ばかりという状態でしたが。
で、なんとなく思ったのでした。「そうか。50周年か……。50年後には100周年があるんだなぁ〜」と。100周年の頃、日本のサッカーはどんなになっているのだろう……。
日本のサッカーは1968年のメキシコ・オリンピックで銅メダルを取った直後でした。その時に長沼健監督が「次の目標」と語った1970年のメキシコ・ワールドカップはアジア予選で敗退してしまいましたが、その予選大会にはエースの釜本がウイルス性肝炎のために欠場していました。「釜本さえいれば……」というのは、その後半世紀の間サッカーファンが何度も口にする言葉ですが、1971年の時点で釜本はまだ27歳。彼が病気から復活すれば、1972年のミュンヘン・オリンピックにも、1974年の西ドイツ・ワールドカップにも出場できると思っていました。