■日本サッカー協会の歴史
それで、その前後のチケットを見てみると、前年の1970年8月末に来日した同じくポルトガルのベンフィカとの親善試合の入場券にも同じ文字が記載されていました。1970年8月から1年間が「協会創立50周年」として扱われたのです。5月にはトッテナム・ホットスパー(イングランド)も来日しています。
ベンフィカではエウゼビオが来日。ヴィトーリアには長身のジョゼ・トーレスがいました。身長191センチの選手は今ではザラにいるでしょうが、当時としてはかなり大きな選手でした。
日本サッカー協会は1921年の9月10日に結成されました。当時の名称は「大日本蹴球協会」。最初の事業として11月に「ア式蹴球全国優勝競技会」つまり全日本選手権大会を開催。東京蹴球団が初代チャンピオンになりました。今年で101回目を迎えた「天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会」の最初の大会です。
1971年には一連の親善試合が「創立50周年記念」と銘打たれて開催されただけでなく、4月から5月にかけて「第13回アジアユースサッカー大会」が国立競技場などで開かれています。現在の「AFC U19選手権」です(当時はU20の大会でした)。そして、このアジアユースが「創立50周年」の目玉の大会だったということになります。
日本代表にはGKの瀬田龍彦や永井良和、奥寺康彦、古田篤良、高田一美といったその後フル代表で活躍する選手たちがいましたが、国立競技場で行われた準決勝で韓国とスコアレスドローに終わり、日本で最初のPK戦に敗れて日本は結局4位に終わりました。