王国と言えばブラジル、母国と言えばイングランドなのは、サッカーファンの常識だ。そこから一歩、サッカーの奥の細道に足を踏み入れると、スコットランドがその存在感をググッと増してくる。母国と同様に、あるいはそれ以上に、中世からフットボールが盛んにプレーされていた。そして、同国の足跡がサッカー史のあちこちに深く刻み込まれていることに気づくのである。サッカージャーナリスト・後藤健生がサッカーの源流を紐解く。
■パス・サッカーはスコットランドで発明された
さて、1866年にオフサイドに関する画期的なルール改正が行われた。
それまでのFAルールでは、現在のラグビーと同じようにボールより前にいる選手は全員がオフサイドだったのだが、この時の改正で守備側の最後尾から3人目の選手より手前にいる攻撃側の選手はオフサイドではないことになったのだ(1925年に再改正されて、現在は守備側の2人目がオフサイドラインとなっている)。
これは革命的な改正だった。
それまでは、「ボールを抱えて走るプレー(ランニングイン)が認められるかどうか」という以外にサッカーもラグビーのルールに大きな違いはなかった。ラグビーの得点も「ゴールに入れたら1点」だったし、サッカーでも空中を飛んできたボールは手で止めてよかった(ただ、サッカーではそのボールを持ったまま走ってはいけなかった)。
ボールの運び方もほとんど同じだった。ボールより前の選手はオフサイドだったので、ボールを前に運ぶには手で抱えて走ったり(ラグビーの場合)、足でドリブルしながら(サッカーの場合)進むしかなかったからだ。ボールは前に蹴ってもいいが、前にいる選手はオフサイドだからプレーに関与できないので、後方にいた選手が走って追わなくてはならない。つまり、ボールを人間が走る以上のスピードで前方に進めることができなかったのだ。
バックパスは認められた。だが、一度ボールを下げてしまうと前に進むのが難しいから、バックパスは得策ではなかった。
だが、守備側の3人目の選手のラインまではオフサイドではなくなったので、サッカーでは前にパスすることができるようになった。これで、サッカーとラグビーは完全に別のスポーツとなったのである。
この新ルールに着目してパス・サッカーを“発明”したのがスコットランドのクラブ、クイーンズパークFCだった。