レバンドフスキとの共通点はない「リトルゴール」の力【追悼ゲルト・ミュラー】(2)の画像
1974年の西ドイツ対オランダ 決勝ゴールを決めた西ドイツのゲルト・ミュラー 写真:Colorsport/アフロ

デア・ボンバー(爆撃機)の異名を持ち、リトルゴールを量産した1970年代を代表する西ドイツのストライカー。70年ワールドカップ・メキシコ大会は得点王、74年西ドイツ大会では、ヨハン・クライフ率いるオランダと決勝で激突し、オランダのゴールに突き刺した決勝点ゴールでそのプレースタイルを世界中に知らしめた。長く所属したバイエルン・ミュンヘンで記録した、ブンデスリーガ通算365ゴールは永遠に破られることはない大記録だ。その、ゲルト・ミュラーが75歳で亡くなった。ゴール裏で目撃した、歴史的ゴールの記憶が蘇る——。

第1回はこちらより

■70年ワールドカップの得点王

  ゲルト・ミュラーというストライカーが西ドイツ代表でデビューしたのは、西ドイツが準優勝した1966年のイングランド・ワールドカップの直後のことだった。

 当時の日本では、現在と違ってヨーロッパ・サッカーの情報などほとんど入ってこなかった。映像を見る機会もなく、どんな選手なのか想像をたくましくするしかなかった。当時、ヨーロッパのサッカーの映像は東京12チャンネルの『三菱ダイヤモンド・サッカー』で放映される試合だけであり、同番組もほとんどがイングランドのフットボールリーグの試合であり、西ドイツの情報は限られたものだった。僕がゲルト・ミュラーの名前を知ったのは、当時定期購読していたイングランドの専門誌『ワールドサッカー』の誌面からだった。

 従って、ゲルト・ミュラーのプレーを初めてしっかりと見ることができたのは1970年のメキシコ・ワールドカップだった。この大会でミュラーは10ゴールを決めて得点王となったのだが、彼のゴールの中で最も印象深かったのは前回大会の決勝戦の再現となったイングランド戦(3対2で西ドイツ勝利)での決勝ゴール、あるいは壮絶な点の取り合いとなった準決勝のイタリア戦(4対3でイタリア勝利)での得点だった。

 イングランド戦ではイングランドが2点を先行するも、正GKゴードン・バンクスが腹痛のために欠場し、急遽ゴールを守ることになったピーター・ボネッティのミスもあって西ドイツがベッケンバウアーとウーヴェ・ゼーラーの得点で追い付いて延長に入り、そして、最後はミュラーが決めてイングランドに対して4年前のリベンジに成功した。

 イタリア戦は、1点リードされた西ドイツが後半戦の終了間際に追い付いて延長戦に入り、ミュラーは延長戦で2点を決めたものの、結局イタリアが逃げ切って決勝進出を決めている。

 イングランド戦の決勝ゴールは、右からのクロスをヨハネス・レーアが落としたボールをゴールの至近距離からボレーで決めたものだったし、イタリア戦でのゴールはこぼれ球のようなルーズボールを決めたゴールだった。

 ミュラーのゴールの多くは、こうしたいわゆる「リトルゴール」、つまりゴールへの至近距離から押しこんだようなゴールだった。

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