■「10番」は王様の背番号
大会登録選手の発表は迫っている。CBDに問い合わせをしている時間はない。だが背番号なしの名簿を受け取ったFIFAはたじろがなかった。担当者だったウルグアイ人のロレンソ・ビジシオは、まず名簿のなかから前大会も出場して名を知っていたGKのカスティーリョに1番を付けた後、あとは適当に番号をつけていったのである。
この大会でブラジルの正GKとなり後に「20世紀最高のブラジルGK」と言われるようになるジウマールは3番だった。右ウイングのガリンシャは11、左ウイングのザガロは7と、通常付ける番号と逆になっていた。そして10番を与えられたのが、「次のワールドカップで中心になってくれるかもしれない」とチームに加えられた17歳のエドソン・アランテス・ド・ナシメント、通称「ペレ」という、世界的には完全に無名な少年だった。
初戦はきれいに1番から11番が並ぶはずのブラジル。しかしスウェーデン西部、フィヨルドの奥にある人口3万の港町、ウッデバラでのオーストリアとの初戦に並んだのは、GKが3番、DFが14番、15番、2番、12番、MFが6番、5番、FWが17番、18番、21番、そして7番と、なんとも締まりのないものになっていたのである。
この試合を3−0で制したものの、第2戦のイングランド戦は低調な試合で0−0。ソ連との第3戦に、ブラジルのビセンテ・フェオラ監督はFWラインにガリンシャとペレという大会前はあまり期待されていなかった選手を送り出す。ペレは素晴らしいプレーを見せ、決勝戦までの残り試合で「王様」と呼ばれるほどの活躍を演じる。そして「背番号10」はサッカーで最も特別視される背番号になるのである。
次回は、ポジションを表すものだった背番号の意味が大きく変わっていく時代の話をしよう。
(続く)