■マンツーマンマーキングとスペースマーキングを併用したブラジルの守備
スペインは前半の途中ぐらいからペドリが左CBと左SBの間に下りて、ダブルボランチを引きつける動きをし始めました。相手の守備の基準点をずらす動きです。それに合わせて左SBのククレジャが高い位置へ上がり、左ウイングのダニ・オルモが内側へ入る。ローリングと言われる動きを頻繁にやり出したのです。
それに対してブラジルは、はっきりと人についていく形を取りました。ダニ・オルモにはダニエウ・アウベスが、ククレジャにはアントニーがしっかりとついていった。
ブラジルがゾーンで受け渡す対策をとってくれば、スペインは受け渡すスキを利用してボールを受け、間に立って崩していこうと思っていたはずです。しかし、ブラジルはマンツーマンである程度最後までついていきました。間で受けることが得意なスペインの選手は、人につかれるのがそこまで得意でないというか、ブラジルほど1対1は強くない。サイドと中央で、マンツーマンマーキングとスペースマーキングの併用を組織的に実践することで、ブラジルは守備のリズムを作り出していきました。
攻撃では、ダニエウ・アウベスとアントニーの右サイドが機能していました。アントニーはククレジャとのマッチアップで優位に立ち、彼が外に張り、ダニエウ・アウベスは内側からサポートしていました。
左サイドは序盤こそボールがあまり回ってきませんでしたが、サイドアタッカーではなくトップ下調の選手であるクラウジーニョが、試合の経過とともに外へ張るだけではなく、うまく中へ入りポジションを取るようになっていきました。
ブラジルの狙いは、4-3-3のシステムの泣きどころであるアンカー脇だと思われます。クラウジーニョが内側へ入ることで空いたスペースに、左SBのアラーナが外のレーンから攻めていく。スペインの右ウイングのアセンシオが戻ってこないことが多かったり、右SBのオスカル・ヒルと右CBのエリック・ガルシアがうまく連携を取れていないことで、ブラジルは徐々にニアゾーンやポケットに入ってチャンスを作ることができていました。
こうしてブラジルは守備だけでなく攻撃でも糸口を見出し、かつ前半終了直前に得点をあげるという、これ以上ない形で折り返すことに成功しました。
(構成/戸塚啓)
なかむら・けんご 1980年10月31日東京都生まれ。中央大学を卒業後03年に川崎フロンターレに入団。以来18年間川崎一筋でプレーし「川崎のバンディエラ」の尊称で親しまれ、20年シーズンをもって現役を引退した。17年のリーグ初優勝に始まり、18年、20年に3度のリーグ優勝、さらに19年のJリーグYBCルヴァンカップ、20年の天皇杯優勝とチームとともに、その歴史に名を刻んだ。また8度のベストイレブン、JリーグMVP(16年)にも輝いた。現在は、育成年代への指導や解説活動等を通じて、サッカー界の発展に精力を注いでいる。