■川口能活コーチの存在
ここで決めていれば、試合の流れは大きく変わっていたことだろう。だが、「たら・れば」を言ってもしょうがない。
だから、日本は選んだ。結果を出すことを。結果で応えたのはGK谷晃生だ。
0-0で突入したPK戦で、背番号12は冷静だった。相手の2本目を読み通りのセーブで弾き出すと、ニュージーランドは続く3本目を枠外へ飛ばした。流れは決した。
延長戦に入る前、主将の吉田麻也らは戦術ボードを使って、細かにプレーの確認をしていた。その話し合いを選手たちに任せ、忙しくベンチ付近を歩く人物がいた。川口能活GKコーチである。
試合後、谷は明かした。PK戦に入る前には、川口コーチが各選手の情報を伝えてくれたのだという。だが、「覚えきれないというか。でも能活さんも『お前の判断で、自信を持ってやれば絶対に止められると思う』と言ってもらえました。『ヒーローになってこい』と送り出してもらいました」。川口コーチの言葉通り、谷はヒーローになった。
川口コーチは日本代表のユニフォームを着て、いくつもの忘れられない場面をつくり出してきた。その最初のシーンが、1996年のアトランタ五輪だろう。日本代表が史上初めてブラジル代表を下した「マイアミの奇跡」である。時には「神がかり」とも言われた現役当時の川口コーチが背中を押して、谷は大舞台で自分の価値を広く知らしめたのだ。
チームの顔となってきた久保や堂安律は、この試合でも積極的に仕掛けながら、決め切ることはできなかった。
だが、ヒーローは彼らだけではないのだ。
決勝トーナメントに入れば、負ければ終わりである。勝つことはもちろんだが、「負けない」という発想も必要になってくる。後がないその戦いで、吉田麻也ら守備陣も懸命に屈強なFWと戦った。百戦錬磨の吉田にも危ない場面はあったが、周囲がそれをカバーした。さらに最後の砦としてGK谷が控え、先発の11人をベンチ、スタッフを含めた「チーム」が支えている。そう理解しているからこそ、久保は守備陣への感謝を口にした。
激戦の末に到達した準決勝は、日本にとって「開かずの扉」である。1968年のメキシコ五輪、2012年のロンドン五輪と、このステージで跳ね返されてきた。
果たして、「補完計画」は完成するのか。チーム日本が、一丸となってスペイン代表との準決勝に挑む。