後藤健生の「蹴球放浪記」連載第67回「なぜに私がスペイン人?」の巻(1)1996年アトランタ五輪「マイアミの奇跡」の現場での画像
アトランタ五輪準々決勝のチケット 提供/後藤健生
アトランタ五輪準々決勝のチケットなど旅の思い出
行き先を間違えたわけではない。小学生にして東京オリンピックでサッカー観戦の楽しさに目覚めたベテラン蹴球放浪家は、じつに32年ぶりにオリンピック本大会を観戦するべく、勇躍マイアミビーチへと向かった。のちに“マイアミの奇跡”として知られることになる日本とブラジルとの一戦は、マイアミのオレンジボウルで行われたのだった。しかし、ビーチに面した小洒落たレトロなホテルへと投宿した理由はいったいどこにあったのか?

■試合日なのに朝からマイアミビーチを満喫

 メキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得してから28年目となる1996年。それ以降、オリンピック出場権を逃し続けていた日本は再びオリンピック出場権を獲得しました。その間にレギュレーションが大きく変わり、オリンピックのサッカー競技は23歳以下のチームの大会になっていました。

 1996年3月にマレーシア・クアラルンプール近郊のシャーアラムで行われたオリンピック最終予選の準決勝で日本はサウジアラビアを破って2位以内を確定し、オリンピック出場権を獲得します。サウジアラビアの猛攻をGKの川口能活が神がかり的なセービングを連発して勝利した瞬間。ピッチ上も記者席も大騒ぎ……。いつも冷静な中田英寿以外は涙に暮れていました。今考えれば、「たかがオリンピック予選に勝っただけなのに」です。

 そして、その年の7月にはアメリカ・ジョージア州のアトランタでオリンピックが開かれました。「近代オリンピック100周年大会はギリシャのアテネで」という至極もっともな意見を退けてアトランタが選ばれたのは、「IOCにとって最大のスポンサーの一つであるコカ・コーラの本社があるからだ」とも囁かれました。

 もっとも、サッカー競技は準決勝と3位決定戦・決勝がアトランタ近郊アセンズで行われるだけで、あとは他の州の都市ばかり。日本の試合の会場はフロリダ州のマイアミとオーランドでした。

「28年ぶりのオリンピック出場」で、きっと僕も浮かれていたのでしょう。僕は便利なマイアミのダウンタウンではなく、わざわざ海辺のマイアミビーチ市に泊まったのです。ビーチに面したオーシャン・ドライブにある「レスリーホテル」です。

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