■ロンドン大会での幸せな時間

 思いがけないメールがFIFAからきたのは、2004年のアテネ大会開幕を5カ月後に控えた2月のことだった。 

「自国のオリンピック委員会から取材パスの割り当てを受けられない国のジャーナリストのために、限られた数ではあるが、FIFAはサッカー一種目だけのパスを確保した。FIFAはその1枚をあなたに割り当てることを決めた。取材を希望するなら、いますぐIOCの広報担当まで連絡してほしい。本来の取材パス申請期限を過ぎているので、できるだけ早く決めてほしい」

 オリンピック代表は次代の日本代表である。私にとって重要な取材だった。しかし実際のところ、試合を取材できないだけでなく、試合後の記者会見などにもアクセスできず、渡航費も国内交通も宿泊費も「特別価格」のオリンピック取材には、シドニー大会でほとほと疲れていた。アテネ大会は見送ろうかと考え始めていたころだった。だが取材パスがもらえるのなら話は別である。私は即断し、FIFAに感謝のメールを送ると、すぐに手続きを始めた。

 以後、2008年北京大会、2012年ロンドン大会、2016年リオ大会と、私はFIFAから回してもらった取材パスでオリンピックのサッカーの取材を続けてきた。ロンドン大会では、男女そろって6試合を戦うという快挙に立ち会うことができた。そして英国という小さな国での大会ということもあり、毎日英国の各地を列車で移動しながら日本の全12試合を見て、たくさんの記事を書くという幸せな時間を過ごすこともできた。当然、東京大会も、開催自体には異論はあっても、実際に開催されるなら取材したいと思っていた。

PHOTO GALLERY 【画像】96年アトランタから16年リオまでの五輪6大会
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