■新ルールのきっかけはリバプール対ケルン

 誕生のきっかけは1964/65シーズンの欧州チャンピオンズカップだった。準々決勝でリバプール(イングランド)と1FCケルン(西ドイツ)が対戦。ケルンでの第1戦、リバプールでの第2戦はともに0-0の引き分けに終わり決着は第2戦の1週間後に中立地であるロッテルダム(オランダ)でプレーオフでつけられることになった。当時は、2戦合計のスコアが同点の場合は中立地でのプレーオフということになっていたからだ。

 だがこの試合は2-2の引き分け。延長戦では両チームとも得点を決めることができず、準決勝進出チームはコイントスで決められることになった。主審はベルギーのロベルト・シャウト。彼は片側が赤、もう1方が白というプラスチック製のコインを用意していた。赤ならリバプール、白ならケルンの勝ちというわけである。しかし彼が投げ上げたコインは軽すぎたのか、ピッチの芝生の間にはいり、そのまま立った状態で止まった。仕方なく2回目を投げると、こんどは赤が上になって止まった。

「すばらしい接戦を演じた2チームの命運を分けるのに、こんな決定方法があっていいのだろうか」と、『リバプール・エコー』紙から特派されたホレス・イェイツ記者は報じている。

 UEFAが「アウェーゴール・ルール」を採用したのは、翌シーズンからだった。もっとも、前シーズンのリバプール対ケルンは、このルールがあっても「プレーオフ」あるいはコイントスになったのだが……。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5