■サッカーのルールの根本の精神とは

「handball」というサッカーの反則についての言葉がいつごろ生まれたのかは知らないが、ハンドリングが反則になったのは、サッカーが誕生して3年後の1866年のこと。飛んできたボールを手でキャッチする「フェアキャッチ」が禁止されてからだった。だが繰り返すが、「ハンドリング」が禁止されたのであって、ただ手に当るだけの「ハンドボール」が禁止されたわけではない。IFABは、ことし示した基準を再考し、「妥当性」などという不確実な判断を審判に強いることを撤回すべきだ。そしてルール上でもその説明でも、言葉を「ハンドリング」に統一して、その考えを明確にすべきだと、私は思っている。

 ハンドリングの反則を考えるうえで、もうひとつの「基準」がある。「ルールの精神」である。サッカーのルールの根本精神は、「安全」と「公平」である。相手選手をケガさせる恐れのあるプレーは許してはならない。これは当然である。そして、どちらか一方のチームが不当に利益を得たり、あるいは不利になるのは間違っている。「公平」の思想がはっきり出ているのが、エンドの交代である。前後半でエンドを交代するということが、ルール第8条にはっきりと書かれている。これによって、ピッチの状態や風向き、場合によってはピッチの傾きなど、1試合を通じれば公平になる。

 ハンドリングの反則で「公平」の考えが表現されている項目がある。攻撃側の選手が偶発的にであっても、すなわち、通常なら反則とされないケースであっても、手に当たったボールが直接ゴールにはいってしまったり、あるいは手に当たったボールを自分でけり込んでゴールに入れたときには得点と認めず、ハンドリングの反則とするというのである(2020年までのルールでは、こうした選手からパスを受けた選手がゴールに入れた場合も反則とされていたが、2021/22用の新ルールでは、手に当たった本人の得点だけが認められないことになった)。

 手や腕でボールを「扱う」ことを禁じたサッカー。偶発的であっても手で入れたものを得点と認めるのは、あまりに「公平」の精神に反している。このルールは妥当だと思う。

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