■世界中がハンドリングを見張っている

 もう一つ、VARで大問題に発展することが多いのがハンドリングの判定だ。

 ボールが手に触れたか否かは映像を利用することによってかなり確実に分かるようになった。だが、それが意図的なプレーだったのかどうかでいつも揉めるのだ。

 昔だったら、審判は「見えなかったことにしてしまう」という解決法もあった。だが、今ではVARの映像で手に当たったかどうかはすぐに分かってしまう。さらに言えば、これも手(腕)の部分にセンサーを取り付けておけば、ハンドの自動判定も可能になるだろう(フェンシングの判定装置のように、手にボールが当たるとLEDライトが派手に点滅するようにするといったこともショーとしては面白いかもしれない)。

 だが、そこで問題になるのは、その選手が意図的にボールに触ったかどうか、である。

 ここ数年、つまりVARが導入されてから、ハンドに関する定義がやたらに細かくなってきている。「腕とはどこを言うのか……付け根は含まれない」といったように、だ。そして、スライディングするときに地面に着く「かばい手」はハンドにならないとか、「不自然に体を大きくしているとハンド」とか、細かい定義が毎年のように追加されている。

 昔だったら、審判は微妙なハンドはそのまま流せばよかった。映像が利用できない頃であれば、「さっきのハンドだったんじゃないのか?」と多くの人が思ったとしても、それを証明する手立てがなかったのだ。だが、今ではプレーの直後からスロー映像が世界中に流れてしまうのだ。

 審判は、「ボールが手に当たった」という事実を突きつけられて、そして判断を求められるのだ。そこで、審判団は細かい(素人にはよく分からないような)定義を作り出して自分たちの判断の論拠とすることにしたのだ。しかし、いくら細かく定義したとしても、必ず微妙な状況は出てくるのだ。
「不自然な動き」かどうか、そんなことは最終的には見る人の感覚でしかないし、それでいいのだ。審判は責任を持って、自分の判断でハンドか、ハンドでないかを決めるしかないのだ。

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