Jリーグのピッチに活気が満ちている。5人交代制によるエネルギー量の増大もあるだろう。上位の顔ぶれを見ればわかるように、攻撃サッカーが復権したことも大きいだろう。しかし、それだけではなく、日本代表監督の森保一がもたらした刺激も大きな要因となっているのではないか。3月の代表活動が川崎フロンターレに与えた影響について考察した。
■良さが発揮されていない旗手怜央
ちょっと(いや、かなり)気の毒だったのは旗手である。
本来はアタッカーであるはずの旗手は、登里が欠場している間は左サイドバックとして起用され、当初は戸惑いが大きかったように見えたが、次第にサイドバックの仕事にも慣れ、前線の三笘との関係性を生かして攻撃的なプレーができるようになってきていた。新境地を切り開いたと言ってもいい。
そして、アルゼンチンとの第1戦でも、Uー24代表の横内昭展監督は左サイドでの三笘とのコンビネーションを生かすことを期待して、旗手を左サイドバックとして起用した。ところが、旗手にとって不運なことに、アルゼンチンの右サイドにはこのチームの攻撃のリーダーであるフェルナンド・バレンスエラという選手がいたのだ。
老獪なプレーをする、まさにマリーシアの塊のようなF・バレンスエラと対面すると、本職のサイドバックではない旗手は守備に追われることとなり、三笘との関係性を生かすこともできなくなってしまった。
そして、代表から帰って最初の試合となった大分戦では、登里が復帰したため、旗手は右のインサイドハーフとしてプレーすることを命じられた。
いくつものポジションでプレーできるポリバレント性は、代表チームでは重要だ。とくに18人しか選手登録ができないオリンピックでは代表選考の際には大きなアドバンテージとなるだろう。
だが、一方で、いくつものポジションでプレーできる器用な選手が、結局、監督にとって便利に使われた挙句に大成せずに消えていった事例も僕はこれまで数多く見てきた。
旗手も、せっかくのUー24代表の試合で、本来のポジションでないサイドバックで起用され、チームに帰ってきたら今度はインサイドハーフと、さまざまなポジションで使われて戸惑うところもあったことだろう。大分戦でも、大きなインパクトを残すことができないまま交代してしまった。
旗手の起用法に関しては、代表チームのスタッフと鬼木監督の間でぜひとも意見の交換をしておいてほしい。