「クライフのために、然るべき決断を下す。クライフ信者として、そしてバルセロナ信者として私は候補者になったのだ」
ラポルタ、そして彼のチームのスタッフは、オレンジ色のマスクに「14番」を記して会長選当日を迎えていた。それは故ヨハン・クライフへのレクイエムであり、未来への決意表明だった。
ラポルタにとって、これは2度目の挑戦になる。2003年に、ジョアン・ガスパールの後任として会長職に就いた。長期政権を築いたジョゼップ・ルイス・ヌニェス(1978年ー2000年)の右腕として活躍したガスパールの次に会長になったラポルタに対する期待は大きかった。
確かに、バルセロナはヌニェス政権でクラブ史上初のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ制覇を達成するなど功績を残した。だがその最大の功労者であるクライフとヌニェスの関係性は決して良くなかった。「クライフ主義」対「ヌニェス主義」は、いまもバルセロニスタの間でしばしば議論されるテーマだ。
その流れで言えば、ラポルタはクライフ支持者だった。2010年に会長から退く際には、クライフに名誉会長職を与えている。だが次に会長に就任したサンドロ・ロセイがそれを快く思わず、同職はクライフ自身の手によって返還されている。