大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第48回「サッカーピッチは花ざかり」(後編)の画像
おわかりいただけるだろうか…… 撮影/中地拓也

※前編はこちらから

職業によっては仕事中の制服着用はマストとなる。サッカー選手のドレスコードは、首から下はみんな一緒。唯一、個性を出せるのが、赤、白、黄色……の足元だ。

バイエルン・ミュンヘンに移籍する方法

 さて、アラン・ボールに刺激されてシューズを白に代えたのが、1970年代にダービー・カウンティーで活躍したアラン・ヒントンである。左ウイングとして正確無比なクロスで数多くの得点を生み出した彼を、「ベスト・クロッサーと呼ばれています」と、『ダイヤモンド・サッカー』で金子勝彦アナウンサーが紹介したとき、私は「なんておしゃれなニックネームだろう」と感心した。まるで「ボールに聞いてくれ」というような日本選手のクロスと違い、ヒントンの左足から繰り出されるクロスは高い確率で味方選手の頭に合った。その秘密があの白いシューズにあるのではないかと思ったほどだ。

 ダービーのブライアン・クラフ監督は「ちゃらちゃらした」白いシューズが大嫌いで、チーム内では禁止していた。そして「黒以外のシューズをはいたら罰金」という厳しいお触れを出した。しかしヒントンは1000ポンド(当時のレートで約75万円)の罰金を払ってお気に入りの白いシューズをはき続けたという。

 黒ばかりのシューズのなかに、最初紛れ込んできたのは、白いシューズ。そしてやがて、赤がはいり、青や黄色のシューズも出てきた。

 赤いシューズで得をしたのは、1973年、欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)の1回戦で優勝候補のバイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)と対戦したスウェーデンのオートビダベリの攻撃的MFコニー・トステンションだ。ミュンヘンで1-3と敗れたオートビダベリだったが、ホームでは同じスコアで快勝。PK戦までもちこんだ。そして2点を奪ったのが23歳のトステンションだった。そのプレーだけでなく、バイエルンのチームカラーでもある赤いシューズをはいていることに(オートビダベリは青)バイエルンのビルヘルム・ノイデッカー会長が反応、すぐに買い取るように命じた。移籍話はとんとんとまとまり、トステンションは1977年までバイエルンの中核選手のひとりとして活躍することになる。

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