後藤健生の「蹴球放浪記」連載第35回「バンコクで電話工事」の巻の画像
バンコク・アジア大会開会式のメディア用入場券 提供:後藤健生
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サッカー旅を続けていると、なぜか、必要なことはなんとか自分でできるようになってくる。やったことがないことでも、まずやってみることが大切なようで。今回は、タイで初めて電話工事にチャレンジしたお話を。

■人類はかつて、原稿を手書きで紙に書いていた

 つい先日、新しいPCを購入しました。昔はPCを新しくすると設定だけで丸1日かかったりしたものですが、最近のPCはすぐにセットアップが終わって使えます。便利な世の中になったものです。

 通信環境などもそうですよね。昔は、原稿を送るだけでもずいぶん苦労したものです。とくに海外での大会では大変でした。

 ワールドカップを振り返ってみると、1990年のイタリア大会までは原稿用紙に手書きで原稿を書いてそれをFAXで送っていました。当時、すでにワープロ専用機は使っていたんですが、海外まで持って行って使うには大きくて重すぎました。

 初めてPCを持って出かけたのは1994年のアメリカ・ワールドカップの時でした。1994年には日本では一般人はまだインターネットを使えませんでしたから、パソコン通信というのを使って原稿を送っていたのです。PCは重さが4キロくらいあって、しかも当時は海外では重たい変圧器を使う必要がありました。今から思うと、よくもあんな重たいものを持って旅行したものです。

 インターネットが使えるようになったのは1990年代後半。ワールドカップで言うとフランス大会からですね。

 ただ、パソコン通信にせよ、インターネットにせよ、当時は電話回線を使ってつないでいました。「ダイヤルアップ」とか呼んでいましたが、データをわざわざ音声信号に変換して電話回線を使って送信するのです。最初のころは日本国内のアクセスポイントまで国際電話を使ってつないでいました。

 21世紀に入るとLANケーブルが登場。太いケーブルを差し込むとすぐにインターネットにつながり、「えらい便利なもんができたんやなぁ」と思っていましたが、そのうちに無線LAN(WiFiというのは無線LANの規格のことです)の時代となり、ケーブルをつなぐ必要がなくなり、今ではPCにもLANケーブルを差し込む穴が見当たらなくなってしまいました。

 おそらく、10年も経てばいつでもどこでもWiFiがつながっているような時代になるでしょうし、50年も経てばコンピュータと脳のインターフェイスが完成。わざわざキーボードや音声を使って入力しなくても、脳から直接データを送れるようになっていることでしょう。

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