後藤健生の「蹴球放浪記」連載第29回「日本代表、60年前の勝利の真相」の巻の画像
ベラルーシ対日本。背景に満員の観衆が映っている。右下にメンバー表。GKは浜崎昌弘。 提供:後藤健生
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今から60年前、東京オリンピックを目指す日本代表は“白ロシア共和国”を訪ね、ディナモ・スタジアムで代表チームに勝利を収めている。欧州最後の秘境でいったい何が起こったのか。謎を解明するために、後藤さんは現地の国立図書館へと向かった。

■1960年の日本に会いに行く

 今回も、2013年10月にベラルーシを訪れた時の話です。

 ミンスクでは、適当な料金のホテルが少なかったので市内のアパートを借りました。メインストリートに面した3階の部屋で、窓の外にはトラムが走っていました。厚いコートを着込んだ人々が行きかう初冬の大通りを見下ろして、アルメニア産のワインを飲みながらパスタを食べた「孤独のグルメ」は楽しい思い出として残っています。部屋には、なんと大きなジャグジーバスまで備わっていました。

 ミンスクには観光スポットはそれほど多くありません。古い建物の大半が第2次世界大戦の時に破壊されてしまったからですが、有名な観光スポットの一つに国立図書館があります。

「斜方立方八面体」という、ヘンテコな形のガラス張りの建物が空中に浮いているような近未来的な建物で、夜はド派手なライトアップもされるそうです。

 僕がミンスクにやって来た目的の一つはこの図書館でした。

 僕は、2007年に双葉社から『日本サッカー史 ~日本代表の90年~』という本を出版しました。その「資料編」には、日本代表の過去の全試合の記録が載っています。日本側だけでなく、相手チームのメンバーまで載っているところが特徴なのですが、この種の本ではどうしてもいろいろな誤りが生じてしまいます。誤植的なミスもありますし、原資料自体に誤りがある場合もあります。そして、相手チームのメンバーが不明だった試合もたくさんありました。

 そこで、僕は海外に行くたびに現地の図書館などで、試合のデータを追加収集することにしていたのです。ミンスクでは、1960年9月に日本代表がベラルーシ代表と対戦して3対1で勝利した試合についてぜひ調べたかったのです。

 ローマ・オリンピック予選で敗れてしまった日本代表。4年後の東京大会は開催国として自動的に出場できますが、あまりみっともない負け方はできません。そのための強化のスタートとして日本代表がヨーロッパ遠征に出たのです。

 初戦は西ドイツ(当時)のアレマニア・アーヘンと対戦して0対5で敗れ、スイスのグラスホッパーには1対4、そしてモスクワではトルペドと対戦して0対8の惨敗を喫しました。最後は、相手が手を抜いてくれたので8点ですんだそうです。さらに、当時はソ連の一部だったウズベキスタンのパフタコールに1対6、カザフスタンのカイラートに1対3と5連敗。ところが、次に対戦したベラルーシ“代表”に対して日本は3対1で勝利しているのです。

 当時のベラルーシ(白ロシア共和国)はソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の一部でしたからFIFAには加盟していませんし、日本戦も公式国際試合にはなりません。しかし、“代表”は存在していてソ連の他の共和国や近隣諸国と試合をしていたようです。現在でいえば、「カタルーニャ代表」のようなものです。

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