■ベラルーシ紳士の助け舟
なぜ、あれほど大敗を続けていた日本がこの試合には勝てたのか? ベラルーシにもディナモ・ミンスクという強豪クラブがあるのですから、“代表”がそんなに弱いわけはありません。大きな謎でした。本当に、相手は“代表”だったんでしょうか? もしかしたら、ユース“代表”だったとか、あるいは公式戦ではなく練習試合みたいなものだったのかもしれません。
それを、現地の資料で確かめたかったのです。
地下鉄で図書館に向かいました。なにしろヘンテコな建物なので、初めてでも迷うわけはありません。いや、すでに空港から市内に向かうバスの中から見えたので、場所ももう知っています。
「国立図書館なのだから、きっと英語を話せる人がいるに違いない」
僕は、そう思っていました。
ところが、ベラルーシ語とロシア語以外はまったく通じません。入館手続きをして新聞閲覧室の場所を確かめるだけでも、結構時間がかかりました。
新聞閲覧室でも四苦八苦です。紙に「1960」と書いて見せ、「ヤポーニャ(日本)」、「ベラルース」、「スポルト(スポーツ)」、「フッドバル(フットボール)」といった単語を伝えて、その日の新聞を出してもらおうとお願いしますが、係員は「なんだろう?」と怪訝な顔をしています。
すると、偶然一人の閲覧者がやって来ました。
ベージュのジャケットに身を包んだ長身で、いかにも「学者でございます」といった風体の紳士でした。年齢は、たぶん僕と同じくらいでしょう。彼にも英語は通じなかったのですが、僕の言っていることを横で聞いていてすぐに理解したらしく、係員に指示してくれました。『ソビエツキー・スポルツ』というソ連時代のスポーツ紙のベラルーシ語版が出てきました。あとは、自分で記事を探すだけです。
ところで、あの学者風の紳士はなぜすぐに僕が言っていることを理解してくれたのでしょうか? 僕は「きっと彼は子供時代にベラルーシ対日本の試合をスタジアムで観戦したに違いない」と、今でも信じています。
『ソビエツキー・スポルツ』の記事を見ると、写真にはたしかに満員の観衆が映っています。両チームのメンバーも載っています。ミンスクのディナモ・スタジアムには4万人の観客が集まったそうです。たしかに白ロシア“代表”との公式戦だったのです。記事によると、日本が連戦連敗していたので、まったく油断していたのが敗因だったということでした。
1960年にベラルーシ代表に勝った日本代表でしたが、2013年10月15日の試合では、ザッケローニ監督の日本代表はベラルーシに0対1で敗れてしまいました。