トレーニングという点で、内田が細かいと感じたのは2010年8月から2014年6月まで日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ監督だという。ブラジルW杯を戦ったこの監督の指導を、次のように振り返る。
「僕はサイドですからね。みんなへの指示が、僕のところに来るんですよ(笑)。それ、僕に言われても、みたいな(笑)。
でも、ザッケローニ監督は本当によく見ているんですよ。僕、後半になるとベンチと逆サイドだし、監督も上から見ているわけじゃないから、たまに5メートル、10メートルくらいは少しサボっちゃおうかなって思ってると、すぐに『ウッチー!』って言われるんです。で、それが何回か続くと交代させられたりするんですけどね(笑)」
当時、W杯直前ということで「勝利」について聞いてみると、内田が“世界基準”だと話す小笠原満男の名前が出てきた。
「とりあえず、試合は全部勝てばいいって。満男さんなんかは、そうなんですよね。だから僕も、そういう意識が強くて。
あの人、3連覇した試合だったと思うんですけど、『もっと圧倒して勝ちたかった』とか、ポロっと言うんですよ。普通、もう勝ったんだからいいじゃんって思うじゃないですか? だから、やっぱりあの人は違うなって。あの人だけレベルが違ったけど、そういうことを僕らに文句として言うわけでもないし。まあ、だから最初は怖かったんですけどね。何も言わないし、目つき悪いし(笑)」
内田に話を聞くと、鹿島の選手の名前が次々と出てくる。8月23日のG大阪戦のあとの引退セレモニーで、内田はこう話していた。
「鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」
このインタビューで、「鹿島が好きだった」と直接的に話すように、内田は世界中どこにいても、鹿島を思いながらプレーしていたのだろう。