引退・内田篤人「至言インタビュー」再び(5)「3連覇時代のビデオをたまに見るんですけど、やっぱり面白い」の画像
内田篤人 撮影:渡辺航滋
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 日本のサッカー界を牽引してきた内田篤人が、8月23日のホームG大阪戦(カシマスタジアム)で現役生活にピリオドを打った。
 鹿島で史上初の3冠達成、シャルケで欧州チャンピオンズリーグのベスト4入り、日本代表メンバーとしてW杯に2度の選出など、輝かしい実績を誇る男の、最後のプレーだった。
 その内田に、弊社が発行する『Football Bar』(フットボール・バル)で、かつて2万字インタビューを敢行している。内田は何を考え、何を目指していたのか。2014年当時のインタビューからその思いを探る。

※その1はこちら

 内田は、サイドの選手ということで縦に行くのはもちろんだが、それだけでなく、絶妙なポジショニングとパスさばきでサイドバックながらゲームメイクもしていた。その戦術眼は、鹿島時代に培ったものだという。

「岩政さんには、だいぶ言われましたからね。この人は、なんでこんなに言うんだろうって、最初は思ってましたけど(笑)。だから、2年目、3年目とか、2連覇、3連覇をしていたときなんかは、ほとんど何も言われなくても、岩政さんがどこにいるのかも分かってたし。その経験は、すごく大きかったですね。そもそも、高校のときに鹿島の練習に参加したときから言ってきましたからね。身体の向きとかも。僕はまだ入るかも分からないのに、すごい教えてくれるなって(笑)」

 岩政大樹は2004年に鹿島に入団し、2008年から日本代表に選出されている。内田の入団する前年である2005年に岩政はJ1・31試合に出場して4得点と、まさに鹿島の主力選手だった。

「恵まれてましたよね。そうやって言葉で言ってくれる先輩もいるし、(小笠原)満男さんみたいに中っていう人もいるし。だから、鹿島自体のバランスが良かったですね。助っ人も当たったし」

 小笠原がセリエAに移籍した2006年から内田はレギュラーに定着。この年、J1で6位と振るわなかったものの、2007年からはオズワルド・オリヴェイラ監督のもと、3年連続でJ1を制覇する。

 その3連覇した2007年~2009年に鹿島のエースストライカーだったマルキーニョスについて、こうも語っている。

「身体も強いしね。やっぱりあのとき3連覇したけど、なんだかんだ最後はマルキっていうところもあったし、彼が得点王で救ってくれたところもありましたね。でも、あの時代のビデオをたまに見るんですけど、やっぱり面白いですよ。中盤は上手いし、後ろは強くて、ボールを跳ね返すし、前は速いし上手い。」

 マルキーニョスと2トップを組んでいた興梠慎三とのカウンターが得点パターンの一つだった。

「普通に紅白戦をしていても、キーパーがキャッチしてカウンターを狙うときは、走れる選手は出ていけって言って。まあ、ポジションはいろいろありますけど、走力のある選手は出て行っていいという。で、マルキもいるし、慎三さんもいるし、だから速いカウンターができたんでしょうね。基本的なことだけど、やっぱりトップスピードでの技術。最後はそこですよね」

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